1976年9月29日(30歳)生まれ。ウクライナ、キエフ市、ヤゴティン地方の小さな町ドヴィルキフシナ出身。
183センチ、73キロ。
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:::official website:::www.sheva7.com::: |
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父(ミコラ):内務省役員、自動車整備工 母(ルボフ):元陸上選手、ロシア・バラードを得意とする歌手 姉妹
愛称:シェヴァ(sheva)
※ヘブライ語でshevaは「7」という意味で誓いの象徴。shevaはnishba(彼は誓った)と同語源の言葉で、nishbaの原義は「彼は自分自身を聖なる7でしばった」であると解釈されていた。(参照:「世界人名ものがたり」講談社現代新書)シェフチェンコが背番号「7」を選んだのが偶然かどうかは分かりません。
車:メルセデス・ベンツ、レンジ・ローヴァー、フェラーリ、オペル
他のスポーツ:ホッケー、テニス、ビリヤード
好きな歌手:ロバート・マイルズ、フレディー・マーキュリー、Laima Vaikule
好きな俳優:ブラッド・ピット、ジュリア・ロバーツ、Alexander Abdulov
好きな料理:イタリア,フランス,日本料理、チェリー・ジュース、オレンジジュース、パイナップルジュース
好きな選手:86年のディナモ・キエフ、ペレ、ジーコ、プラティニ、ロマーリオ
スポーツ界の交友関係:メデベデフ(テニス選手)、ヤシン(NHL、ホッケー選手) |
その他参照プロフィールページ:
uefa.com
ウィキペディア
2006W杯公式ページ
シェフチェンコの3階級昇進
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シェフチェンコ:2004年バロンドール受賞記念DVD
(※再生環境:::要注意!!!) [サッカーDVDショップ Canal-F]
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ユニフォームその他 |
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ディナモ・キエフ→ACミラン(イタリア、1999〜2006)→チェルシー(イングランド、2006〜)、ウクライナ代表
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6歳からディナモ・キエフのサッカースクールに入る。92年にディナモ・キエフ2(2軍チーム)に昇格する。94年10月28日に、対シャフタール・ドネツク戦でトップデビュー。初ゴールは94年12月1日、対ドニプロ・ドニプロペトロフスク戦。同じ94年にシェフチェンコはチャンピオンズリーグの舞台にも姿を現した。対戦相手は名門バイエルンで1-4でチームが敗れる中、唯一得点をあげたのがシェフチェンコであった。この時若干18歳。その後、5
シーズンをディナモ・キエフで送り、その間のリーグ5連覇に貢献。99-00シーズンからは、憧れのイタリアの名門クラブ、ACミランへ移籍した。代表デビューは、95年3月25日のクロアチア戦。代表初ゴールは96年5月のトルコ戦。98-99シーズンのチャンピオンズリーグで10試合8得点を記録し得点王。 |
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シェフチェンコの能力を最初に見出したのはウクライナで有名なスカウト、ユーリ・チャプコフであった。ウクライナ最高との評判を持つ彼にスカウトされ13歳以上でないと入学できないコースに12歳で入学するという逸話がある。14歳の時にウェールズで行われたユーストーナメントに出場し大会MVPを獲得し、その時にイアン・ラッシュ(元ウェールズ代表、リバプール)からトロフィーとサッカーシューズを贈られている。この時、ラッシュはシェフチェンコを見て「ウクライナサッカーを担う逸材が現れた」と語っている。 |
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シェフチェンコの持ち味はなんと言っても鋭い突破力、力強さに素早さを兼ね備えている点である。一瞬で相手ディフェンダーを
置き去りにしゴールする。また、ポストプレーやヘディングの能力も高く、左右どちらの足でもゴールでき直接FKを決める能力も高く、代表、ミランでいくつかのFKを決めている。頭角を現し始めた当初はブラジル代表のロナウドと比較し「白いロナウド」などと評された。そのロナウドとは同い年で、シェフチェンコがロナウド(1976年9月22日生)より1週間後に生まれている。身長も同じ183センチ。 |
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97-98CLグループリーグのバルセロナ戦アウェーで前半だけでハットトリック
をし一躍有名になる。そのころから欧州のメディアではシェフチェンコのことをしばしば"lethal
weapon(最終兵器、致死兵器)""marksman(射撃の名手)"などと形容しその能力を認められてきた。また誕生日が1週間違いのブラジル代表FWロナウド(1976/9/22)と比較され「白いロナウド」とも呼ばれることもしばしば。98-99のチャンピオンズリーグでは準々決勝でR.マドリッドと対戦し、2試合で3ゴールをマークし、ベスト4まで進む快挙。敗れた準決勝バイエルン戦でも2ゴールを記録し、この年のCL得点王に輝いた。1999-00シーズンにセリエAの名門
ACミランに移籍金約37億円(当時)で移籍。ミラン移籍の3年前にディナモ・キエフはシェフチェンコを移籍金約2.4億円でスペインのスポルティング・ヒホンに移籍の話をもちかけている。実に10倍以上に移籍金が跳ね上がっている。 |
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デビューシーズンでいきなり24得点あげ、外国人選手として初めて1年目での得点王に輝いた。さらに2シーズン目も24得点あげ、得点ランク2位になり、ミランではミラン黄金時代のファン・バステンの再来と言われ、ベルルスコーニ会長もファン・バステンの後継者と公言するほどである。 |
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02-03シーズン、シーズン序盤にケガをしたことと新しく加入したトマソン (デンマーク代表)、リバウド(ブラジル代表)の影響もあって、試合に出場する機会が減ってきた。移籍の噂も飛び交う中、徐々に本来の調子を取り戻し、
シーズン終盤はコンスタントに出場し、CLでもチーム躍進の原動力の一員を担った。そして初のビッグタイトル獲得となったユベントスとのCL決勝では、最後のPKキッカーとしてゴールを決めた。そしてこのCL優勝トロフィーをキエフに持ち帰り、ロバノフスキー記念碑前で披露している。 |
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2003-04シーズンは悩まされたケガから完全に復活し、ゴールを再び量産している。再び24得点をあげセリエAで2度目の得点王に輝くと共に初のスクデット獲得を果たす。そして2004年にウクライナ人史上3人目(他2人
はブロヒンとベラノフ)のバロンドール(欧州年間最優秀選手)獲得を果たした。伊紙ガゼッタ・デロ・スポルトはシェフチェンコの止まらない勢いを賞賛し次のように報じている。「彼にはファン・バステンのすばらしい優雅さ、ウェアの爆発的な創造性、グンナー・ノルダールの疲れ知らずのパワー、アルタフィニのブラジル人の卓越さ、インザーギのすぐれた便宜主などがないが、過去の偉大な選手と同じようにゴールを決める能力を持っている。」 |
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そして2005年、ウクライナ代表として史上初のW杯出場を決めた。過去3度プレーオフ敗退を経験している(97年/クロアチア、99年/スロベニア、01年/ドイツ)ウクライナ代表はトルコ、デンマーク、ギリシャなど強豪ひしめくグループを首位で通過し、欧州で予選突破一番乗りを果たし、シェフチェンコ自身もチーム得点王になった。 |
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初めて出場したW杯では、グループリーグ初戦でスペイン相手に0−4と大敗したが、そこから2連勝し、初出場で決勝Tに進んだ。ベスト16で、スイスをPK戦の末に下したが、次の準々決勝のイタリア戦は0−3に終わりW杯を終えた。シェフチェンコ自身の結果は、グループリーグのサウジアラビア戦、チュニジア戦でそれぞれ1得点を決め、5試合で2得点に終わった。 |
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プライベートでは2004年にアメリカ人モデルのクリステンとワシントンのゴルフ場で結婚(2004/7/14)した。10月29日に長男のジョーダン・アンドリー・シェフチェンコが誕生し、ミランのベルルスコーニ会長が洗礼名の名付け親となった。 |
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2005-06シーズン終了後、家族の事情(英語圏で息子を育てたい)によりイングランドのチェルシーへ移籍をした。移籍金は推定4500万ユーロ(約63億円)で、同クラブ史上最高額と言われている。チェルシーでも背番号は「7」に決まり、交渉の際の条件に組み込まれていたという話である。 |
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ウクライナリーグ時代 |
シーズン |
リーグ戦 |
カップ戦 |
欧州大会 |
代表 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
1994/95 |
17 |
1 |
4 |
1 |
2 |
1 |
2 |
- |
1995/96 |
31 |
16 |
5 |
1 |
2 |
2 |
2 |
1 |
1996/97 |
20 |
6 |
- |
- |
- |
- |
6 |
2 |
1997/98 |
23 |
19 |
8 |
8 |
10 |
6 |
3 |
2 |
1998/99 |
26 |
18 |
4 |
5 |
14 |
10 |
9 |
1 |
合計 |
117 |
60 |
21 |
15 |
28 |
19 |
22 |
6 |
1995−96 ディナモ・キエフ 31試合 16得点 (3位)
1997−98 ディナモ・キエフ 23試合 19得点 (2位)
1998−99 ディナモ・キエフ 28試合 18得点 (得点王)
ウクライナリーグ通算 117試合 60得点 (歴代7位) 2000・6・13現在 |
セリエA時代 |
シーズン |
リーグ戦 |
カップ戦 |
欧州大会 |
代表 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
1999/00 |
32 |
24 |
4 |
4 |
6 |
1 |
7 |
3 |
2000/01 |
34 |
24 |
3 |
1 |
14 |
9 |
7 |
5 |
2001/02 |
29 |
14 |
3 |
- |
6 |
3 |
6 |
5 |
2002/03 |
24 |
5 |
4 |
1 |
11 |
4 |
6 |
2 |
2003/04 |
32 |
24 |
1 |
- |
9 |
4 |
4 |
1 |
2004/05 |
29 |
17 |
- |
- |
10 |
6 |
8 |
5 |
2005/06 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
合計 |
180 |
108 |
15 |
6 |
56 |
27 |
38 |
21 |
通算 |
297 |
168 |
36 |
21 |
84 |
46 |
60 |
27 |
1999−00 ACミラン 32試合 24得点(pk8) (得点王)
2000−01 ACミラン 34試合 24得点(pk6) (2位)
2001−02 ACミラン 29試合 14得点(pk3)
2002−03 ACミラン 24試合 5得点(pk0)
2003−04 ACミラン 32試合 24得点(pk1) (得点王)(優勝)
2004−05 ACミラン 29試合 17得点(pk0)
2005−06 ACミラン 28試合 19得点
|
2002−03シーズン
|
セリエA |
チャンピオンズリーグ |
コッパ・イタリア |
出場 |
24 |
11 |
4 |
先発 |
18 |
11 |
1 |
途中出場 |
6 |
- |
3 |
途中交代 |
10 |
5 |
1 |
サブ |
2 |
1 |
2 |
出場時間 |
1575 |
946 |
129 |
得点 |
5 |
4 |
1 |
警告 |
- |
- |
- |
退場 |
- |
- |
- |
|
タイトル |
ウクライナリーグ:1995,1996,1997,1998,1999
ウクライナカップ:1996,1998,1999
得点王:1998/99(ウクライナリーグ)(チャンピオンズリーグ),1999/00(セリエA)
ウクライナ・ベスト・フットボール・ザ・イヤー(MVP):1997,1999,2000,2001
バロンドール(欧州最優秀選手):1999(3位),2000(3位),2001(8位),2003(4位)
ワールド・サッカー誌(年間優秀選手):1999,2000ともに3位
チャンピオンズリーグ得点王、最優秀選手:1998/99
チャンピオンズリーグ:2002-2003優勝(ミラン) |
バロンドール(欧州最優秀選手)受賞までの歴史 |
1999 |
|
|
|
|
1 |
リバウド |
バルセロナ |
ブラジル |
219 |
2 |
D.ベッカム |
マンチェスター・U |
イングランド |
154 |
3 |
A.シェフチェンコ |
ディナモ・キエフ |
ウクライナ |
64 |
4 |
G.バティストゥータ |
フィオレンティーナ |
アルゼンチン |
48 |
5 |
L.フィーゴ |
バルセロナ |
ポルトガル |
38 |
2000 |
|
|
|
|
1 |
L.フィーゴ |
レアル・マドリード |
ポルトガル |
197 |
2 |
Z.ジダン |
ユベントス |
フランス |
181 |
3 |
A.シェフチェンコ |
ミラン |
ウクライナ |
85 |
4 |
リバウド |
バルセロナ |
ブラジル |
39 |
|
A.ネスタ |
ラツィオ |
イタリア |
39 |
2001 |
|
|
|
|
1 |
M.オーウェン |
リバプール |
イングランド |
176 |
2 |
ラウール |
レアル・マドリード |
スペイン |
140 |
3 |
O.カーン |
バイエル・ミュンヘン |
ドイツ |
114 |
4 |
D.ベッカム |
マンチェスター・U |
イングランド |
102 |
5 |
F.トッティ |
ローマ |
イタリア |
57 |
2002 |
|
|
|
|
1 |
ロナウド |
レアル・マドリード |
ブラジル |
171 |
2 |
R.カルロス |
レアル・マドリード |
ブラジル |
145 |
3 |
O.カーン |
バイエル・ミュンヘン |
ドイツ |
114 |
4 |
Z.ジダン |
レアル・マドリード |
フランス |
78 |
5 |
M.バラック |
バイエル・ミュンヘン |
ドイツ |
67 |
2003 |
|
|
|
|
1 |
P.ネドベド |
ユベントス |
チェコ |
190 |
2 |
T.アンリ |
アーセナル |
フランス |
128 |
3 |
P.マルディーニ |
ミラン |
イタリア |
114 |
4 |
A.シェフチェンコ |
ミラン |
ウクライナ |
67 |
5 |
Z.ジダン |
レアル・マドリード |
フランス |
64 |
2004 |
|
|
|
|
1 |
A.シェフチェンコ |
ミラン |
ウクライナ |
175 |
2 |
デコ |
バルセロナ |
ポルトガル |
139 |
3 |
ロナウジーニョ |
バルセロナ |
ブラジル |
133 |
4 |
T.アンリ |
アーセナル |
フランス |
80 |
5 |
T.ザゴラキス |
AEKアテネ/ボローニャ |
ギリシャ |
44 |
2005 |
|
|
|
|
1 |
ロナウジーニョ |
バルセロナ |
ブラジル |
225 |
2 |
F.ランパード |
チェルシー |
イングランド |
148 |
3 |
S.ジェラード |
リバプール |
イングランド |
44 |
4 |
T.アンリ |
アーセナル |
フランス |
41 |
5 |
A.シェフチェンコ |
ミラン |
ウクライナ |
33 |
|
代表歴 |
69試合、31得点(2006年7月3日現在)
2006年W杯予選 7試合5得点 (W杯本大会出場)
2004年EURO予選 4試合3得点 (予選グループ3位)
2002年W杯予選 12試合10得点 (プレーオフ敗退、対ドイツ)
2000年EURO予選 12試合2得点 (プレーオフ敗退、対スロベニア)
1998年W杯予選 8試合4得点 (プレーオフ敗退、対クロアチア)
2005/06/04 |
W杯予選 |
カザフスタン |
1 |
2004/11/18 |
W杯予選 |
トルコ |
2 |
2004/10/13 |
W杯予選 |
グルジア |
1 |
2004/10/10 |
W杯予選 |
ギリシャ |
1 |
2003/09/10 |
EURO予選 |
スペイン |
1 |
2003/06/07 |
EURO予選 |
アルメニア |
2 |
2001/11/14 |
W杯予選 |
ドイツ |
1 |
2001/10/06 |
W杯予選 |
ポーランド |
1 |
2001/09/05 |
W杯予選 |
アルメニア |
1 |
2001/09/01 |
W杯予選 |
ベラルーシ |
2 |
2001/03/28 |
W杯予選 |
ウェールズ |
1 |
2000/10/11 |
W杯予選 |
ノルウェー |
1 |
2000/10/07 |
W杯予選 |
アルメニア |
2 |
2000/09/02 |
W杯予選 |
ポーランド |
1 |
2000/04/26 |
親善 |
ブルガリア |
1 |
1999/11/13 |
EURO予選 |
スロベニア |
1 |
1999/10/11 |
EURO予選 |
ロシア |
1 |
1998/07/15 |
親善 |
ポーランド |
1 |
1997/11/15 |
W杯予選 |
クロアチア |
1 |
1997/10/11 |
W杯予選 |
アルメニア |
1 |
1997/05/07 |
W杯予選 |
アルメニア |
1 |
1997/04/02 |
W杯予選 |
北アイルランド |
1 |
1996/05/01 |
親善 |
トルコ |
1 |
|